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浦和地方裁判所 昭和62年(ワ)851号 判決 1992年3月02日

原告

松原幸靖

右訴訟代理人弁護士

山本裕夫

下林秀人

被告

医療法人社団東光会

右代表者理事

中村隆俊

右訴訟代理人弁護士

小川吉一

右訴訟復代理人弁護士

加村啓二

主文

一  被告は原告に対し一八〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し五八三四万〇八四二円及びこれに対する昭和六〇年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は医療法に基づいて設立された医療法人(社団)であり、埼玉県戸田市本町一丁目一九番三号において、戸田中央総合病院(以下「被告病院」という。)を経営している。

2  原告の疾患とその治療経過

(一) 原告は昭和六〇年三月末ころから、首から頭にかけて重苦しさを覚えていたが、同年四月二日突然の頭痛に見舞われた。翌三日夜からは頭痛がいっそう激しくなり、これに眼痛も加わり、あちこちに激痛が走って耐えられなくなったので、住居近くの開業医の紹介で、同月四日被告病院の脳神経外科で診察を受けた。

(二) 脳神経外科では、谷川達也医師が診察に当り、レントゲン検査、瞳孔検査、血液検査及び眼をつぶって立ったり、膝を叩いたりする検査を受けたが、これらの検査結果からは「白血球が多少増えているが、レントゲン写真の映像には異常はない。」とのことであった。そこで、この日は、後日(四月八日)、CTスキャンで精密検査をしてもらうことを予約し、薬剤の支給を受けて帰宅した。

(三) 翌五日も激しい頭痛と眼痛が続いたため、原告は被告病院の耳鼻咽喉科で診察を受けたが、担当の上田忠和医師は「大したことはない。そのうち楽になりますよ。」と言って、鼻の中の掃除と吸入を施しただけであった。原告は、この診断に不安を抱き、同じ日被告病院の眼科でも受診した。眼科では視力、眼圧、眼底等の検査を受けたが、「異常はない。」と診断され、赤外線の照射をしてもらい、薬剤の支給を受けて帰宅した。

(四) しかし、その後も、激しい頭痛と眼痛はおさまらず、原告は翌六日脳神経外科で大久保正医師による二度目の診察を受け、同月八日には予約してあったCTスキャンでの検査を受けた。そして、同月一〇日、脳神経外科で四度目の診察を受けたが、その日の担当の高橋信医師は原告に対し「CTスキャンの検査結果には異常はない。」と説明した。その後、原告は同年五月四日と同月一一日の二回、眼科で診察を受け、その間、頭痛と眼痛がやや薄らいできたため、結局は大したことではなかったのか、と思い、薬剤を服用するだけで痛みをこらえていた。

(五) ところが、同年六月九日の夕刻、突然、原告の左眼の視野が薄暗くなり、見えにくくなった。翌一〇日、原告は、被告病院に急行し、まず、脳神経外科(高橋医師の担当)でレントゲンとCTスキャンの検査を受けたが、「異常はない。」とのことで、眼科に回された。眼科の担当医師は、視力の急速な低下に驚き、「眼と脳を結ぶ神経に何かがある。」と言って、再び原告を脳神経外科に戻した。そのあと、原告は脳神経外科から耳鼻咽喉科へ、そして、さらに脳神経外科へと回されているうち、脳神経外科、眼科及び耳鼻咽喉科の三科の担当医師の協議により、被告病院では手に負えないとの結論に達し、最終的には帝京大学医学部附属病院(以下「帝京病院」という。)に回わされることとなった。

(六) 帝京病院での診察の結果、原告の前記症状は、鼻の奥の蝶形洞という空間に膿がたまり(蝶形洞のう胞)、これが三叉神経を圧迫し、さらに視神経を圧迫しているためであることが判明し、同月一一日午後四時半ころから約一時間にわたり、蝶形洞にたまった膿を取り除く手術が行われたが、すでに手遅れであり、手術のかいもなく、原告は左眼を失明するに至った。

3  被告の責任

(一) 一般に、副鼻腔炎(蓄膿症)手術の既往歴を持つ者には手術後一〇年ないし二〇年経過後、副鼻腔(上顎洞、前頭洞、蝶形洞及び節骨洞)に膿がたまって、のう胞を発症する(これを「術後性副鼻腔のう胞」という。)ことが多い。蝶形洞のう胞が生ずると、三叉神経が圧迫されて頭痛を起こし、視神経が圧迫されて眼痛、視力低下、視野異常等の眼症状が発生し、最後には失明する。蝶形洞のう胞の診断にはレントゲン検査、CT検査(CTスキャン)、穿刺等が有効であるが、なかでもCT検査が最も有用である。その治療方法は、要するに、手術によりのう胞を開放し鼻腔との交通をつけることであるが、具体的には鼻外法、鼻内法、経上顎洞法等がある。治療には早期手術が極めて重要であり、発症後二か月以内に手術を受ければ、ほとんどの場合正常に復するが、二か月を超えると、視力や視野に障害が残ることが多い。

原告が左眼を失明するに至ったのは、昭和六〇年四月四日から同月一〇日にかけて原告の診察に当った被告病院の医師らが、当時、すでに原告について蝶形洞のう胞の症状が現われており、諸検査の結果からその診断が容易であるのに、診断を引き延ばし、適切な措置をとらなかったため早期手術の時期を失わせてしまったことによるのである。この点をそれぞれの医師について詳述すると次のとおりである。

(二) 谷川医師(脳神経外科)について

昭和六〇年四月四日に脳神経外科で診察を受けた際、原告は激しい頭痛と眼痛を訴えており、谷川医師の問診に対して副鼻腔炎手術の既往歴があることを告げている。そのうえ、谷川医師は、この日のレントゲン検査によって、原告の前頭洞、篩骨洞、蝶形洞に陰影があることを認めているのである。そうすると、谷川医師は、これらのことから、診断をするうえでの重要な手掛りを掴んだのであるから、右激しい頭痛と眼痛の原因を解明するために必要な手だてを講ずべきことは医師としての当然の責務である。

その第一は、レントゲン検査の結果に異常所見を認めたのであるから、さらにその部分の状態を正確に把握するため、その部分全体を覆うCTスキャンによる撮影を行うなど、細部の検査を進めるべきであった。しかし、谷川医師は、この点について十分に意を用いておらず、後日(同月八日)に行われたCTスキャンによる撮影の範囲は異常所見が認められた部位(前記蝶形洞等)の全体を覆うものではなく、その結果は原因解明のためには甚だ不十分なものであった。

第二に、右原因解明は脳神経外科においてするよりも耳鼻咽喉科においてするのが適切であるとすれば、谷川医師は、原告に対し耳鼻咽喉科での受診を勧め、原告を同科に紹介して診察を依頼すべきであった。そして、その際、レントゲン検査の結果にみられる異常所見が同科の医師に伝達されるようレントゲン写真を同科に回付するとか、原告に持参させるとかして、これが診察の資料に供されるよう配慮すべきであった。しかし、谷川医師はこれらのことを全くしなかった。

第三に、仮に谷川医師にはこれほどの義務はないとしても、谷川医師は、原告が自らの判断で適切な治療の機会をえ、その方法を選択できるよう、原告に対しその時点での医師としての所見について必要な説明をすべきであった。ところが、谷川医師はレントゲン検査の結果について見られる異常所見について何の説明もしなかった。

(三) 大久保医師(脳神経外科)について

昭和六〇年四月六日に脳神経外科で診察を担当した大久保医師は、問診の際、原告から、支給された薬剤を服用したが効果はないこと、前日の五日に被告病院の眼科と耳鼻咽喉科でも診察をしてもらったが、眼科では問題はないと言われ、耳鼻咽喉科では「副鼻腔炎かも知れない。」と言われたことを告げられており、原告の頭痛と眼痛は変りなく続いていて、三叉神経にも圧痛があることを認めている。そうだとすれば、大久保医師としては、さらに、その原因解明のため、改めて検査の方法を検討し、同月八日に予定されているCTスキャンによる検査もその撮影範囲にレントゲン検査の結果によって異常所見が認められた部分を含める措置をとるべきであった。また、耳鼻咽喉科では右異常所見についてその部位をどのように精査し、どのような診断を下したのかを確認し、必要に応じて同科との連携、協力により総合的な見地から的確な診断ができるよう努めるべきであった。ところが、大久保医師は、これらのことを全くしておらず、とくに耳鼻咽喉科との連携、協力については一片の考慮も払っていない。

(四) 高橋医師(脳神経外科)について

高橋医師は、昭和六〇年四月八日にCTスキャンによる検査が行われたあと、同月一〇日に脳神経外科で原告を診察したのであるが、この時点では、谷川、大久保両医師の診察の結果に加えて、自らも原告からその症状についての訴えを聞いており、CTスキャンによる検査の結果、その映像から後篩骨洞か、蝶形洞に問題があり、ますます耳鼻科系統の疾患が疑われる状況であった。したがって、高橋医師としては、右異常がみられる部位についてCTスキャンによる追加撮影を行い、原告に対して先の耳鼻咽喉科での診療状況について確かめ、再度、同科での受診を勧めるなどして、症状の原因解明に努めるべきであるのに、これを全くしなかった。

(五) 上田医師(耳鼻咽喉科)について

上田医師は昭和六〇年四月五日に耳鼻咽喉科で原告の診察を担当したのであるが、上田医師の診察は、問診さえほとんど行わず、ただ、すぐに楽になると言って、鼻の中の掃除と吸入をしただけであった。そのため上田医師は、原告が先に脳神経外科で受診しており、そこでのレントゲン検査の結果には異常所見が認められることを知る機会さえ逸してしまい、こうして、同科での診察では、原告について生じている病変についてその原因解明のための手段は全くとられることがなかった。

(六) 以上のような各医師の注意義務違反は、それぞれ、被告の原告に対する、履行補助者による診療行為が不完全であったものとして診療契約上の債務不履行責任と、被用者の不法行為による使用者責任の原因を成すものであるが、ほかにも被告病院の診療体制には次のような欠陥がある。その第一は、各診療科の医師はその専門の領域以外のことには全く関心を示さないことである。脳神経外科の医師が原告のレントゲン検査の結果について異常所見を認めながら自ら進んで耳鼻咽喉科の医師に連絡をとり、協力を求めようとしなかったのはその一例である。被告病院は総合病院を標榜しているが、これでは全くの見かけ倒しというほかはない。第二は同じ診療科の内部においても医師相互間の連携が欠如していることである。脳神経外科における谷川、大久保、高橋の各医師の診察の結果は相互に他の医師にどのように伝達され、あとの診察に生かされたのか、大いに疑問である。これらのことは被告病院の診療体制全体の問題であり、被告自身の過失である。

したがって、被告は原告に対し、診療契約上の債務不履行若しくは不法行為に基づき原告が被った損害を賠償すべきである。

4  損害

原告は鍼灸・マッサージ・指圧業を営んでいる者であるが、左眼失明(昭和六〇年六月一一日に確定)の結果、日常生活において多大な困難を抱えるに至ったことはもとより、仕事のうえでも甚大な損害を被っている。原告が被った損害は次のとおり計五八三四万〇八四二円である。

(一) 治療費 一一万円

昭和六〇年六月一〇日から同月二一日までの一一日間、帝京病院に入院した際の差額ベット料金

(二) 後遺障害(左眼失明)による逸失利益

四二九三万〇八四二円

別紙「逸失利益計算書」のとおり。(1)年収は昭和五九年賃金センサス・男子高専卒年齢階級別平均賃金による、(2)中間利息控除は年齢階級ごとに新ホフマン係数で計算、(3)労働能力喪失率四五パーセント(自動車損害賠償保障法施行令別表第八級該当)

(三) 慰謝料 一〇〇〇万円

(四) 弁護士費用 五三〇万円

よって、原告は被告に対し右五八三四万〇八四二円及びこれに対する前記原告の左眼失明が確定した日の翌日である昭和六〇年六月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)の事実のうち、原告が昭和六〇年四月四日開業医の紹介で被告病院の脳神経科で診察を受けたことは認める。

(二)の事実のうち、谷川医師が原告の診察を担当したこと、原告が諸検査を受け、CTスキャンでの精密検査を予約したことは認めるが、血液検査を受けたこと、谷川医師が「白血球が多少増えているが、レントゲン写真の映像には異常はない。」と言ったことは否認する。

(三)の事実のうち、原告が同月五日被告病院の耳鼻咽喉科と眼科で受診したことは認めるが、その余は否認する。このとき耳鼻咽喉科ではアレルギー性鼻炎及び急性副鼻腔炎の診断をし、眼科では諸検査の結果、最終的には眼精疲労の診断をしたものである。

(四)の事実のうち、原告が同月六日に脳神経外科で受診したこと、同月八日にCTスキャンによる検査を受けたこと、そして、同月一〇日に高橋医師が原告に対し「CTスキャンの検査結果には異常はない。」と説明したこと、原告が同年五月四日と同月一一日の二回、眼科で受診したことは認めるが、その余は不知。

(五)の事実のうち、脳神経外科、眼科及び耳鼻咽喉科の三科の担当医師の協議により原告を帝京病院に紹介したことは認めるが、レントゲンとCTスキャンの検査の結果、「異常はない。」との診断をしたことは否認、その余は不知。

(六)の事実のうち、原告が左眼を失明したことは認めるが、その余は不知。

3  同3の(一)の主張のうち、「術後性副鼻腔のう胞」の定義及びその診断に用いられるものとして原告主張の方法があることは認めるが、その余は争う。術後性副鼻腔のう胞があっても、何の症状も発生しない場合もあり、また、鼻閉等の症状を現わすにすぎない場合もある。術後性副鼻腔のう胞は上顎部に一番多く発症し、この場合は、特別のケースを除き、手術はしない。蝶形洞のう胞で手術が必要とされるのは、痛みが長期にわたり、継続している場合である。

(二)の事実のうち、昭和六〇年四月四日の脳神経外科における診察の時点で、谷川医師が原告について激しい頭痛、眼痛、副鼻腔手術の既往歴、レントゲン検査の結果に異常所見(前頭洞、篩骨洞、蝶形洞に陰影がある。)が認められることなどの診断資料をえたことは認めるが、その余は否認する。谷川医師は、右診断資料から原告の疾患は慢性の副鼻腔炎である可能性が一番高いと診断し、このことを念頭において、原告に対し耳鼻咽喉科での受診を勧めたのである。この時点で、谷川医師が原告の疾患について術後性蝶形洞のう胞の診断をするに至らず、慢性の副鼻腔炎と診断したことについては過失はない。というのは、蝶形洞のう胞は耳鼻科、眼科、脳神経外科の境界領域の疾患ではあるが、その治療の担当は耳鼻科であり、眼科や脳神経外科の医師がこれについて有する知識は限られたものにすぎず、右診断資料からは副鼻腔炎、眼精疲労、片頭痛、筋緊張性頭痛、心因性頭痛などさまざまな診断が可能であり、脳神経外科の医師が発症することの希な術後性蝶形洞のう胞について的確な診断をすることは困難だからである。したがって、谷川医師としては、原告に対し耳鼻咽喉科での受診を勧めれば足りることであって、さらに耳鼻科系統の疾患の原因を解明するための手だてまで講ずべき責務を負うものでないことは明らかである。谷川医師がCTスキャンでの精密検査を実施したのも、原告について脳神経外科系統の疾患の有無を確かめようとしたためであり、撮影の範囲が蝶形洞にまで及ばなかったのは当然である。被告病院においては、ある診療科での診断の結果、他の診療科の治療領域に属する疾患が発見された場合、患者をその診療科に紹介することも行われてはいるが、すべての症例について行っているわけではない。多くの患者を限られた時間内に診察し治療しなければならない被告病院の外来診療の現状では、すべての症例について紹介することは困難であり、症例によっては他の診療科での受診を勧めれば足りるものも少なくない。本件においては、原告から紹介を求めた事実はなく、事情は明らかではないが、谷川医師の診察を受けた時点では、原告において被告病院の耳鼻咽喉科での受診を希望しなかった節がある。このような事情のもとにおいては、谷川医師には原告を被告病院の耳鼻咽喉科に紹介し、レントゲン写真を同科に回付するなどの措置を講ずべき法律上の義務までは生じないというべきである。谷川医師は、レントゲン検査の結果にみられる異常所見について、原告に対し、それが耳鼻科系統に疾患があることを疑わせるものであること、したがって、その専門の診療科で受診することを勧めており、これによって谷川医師の原告に対する説明義務は尽されている。

(三)の大久保医師の注意義務についての主張は争う。大久保医師は、昭和六〇年四月六日に原告を診察した時点では、谷川医師と同様、原告の頭痛等の原因を副鼻腔炎に伴って生じていると判断したのであり、術後性蝶形洞のう胞と診断しなかったことに過失がないことは谷川医師についてと同様である。もっとも、大久保医師の診察は谷川医師の診察と時点を異にし、薬剤の投与も効果はなく、頭痛等は続いていたが、未だ眼症状は出現しておらず、谷川医師の診断と異なる診断がされるべきほどの症状の変化は生じていなかった。大久保医師による診察の時点では、原告は既に被告病院の耳鼻咽喉科での診察を受けており、大久保医師としては、耳鼻科系統の疾患については同科で精密検査が行われると考え、脳神経外科ではその専門の治療領域に属する疾患の有無について結論を出せば足りると判断していたのであって、大久保医師が耳鼻咽喉科の医師と連絡を取り合い、双方の診断内容について協議をしなかったからといって注意義務を怠ったとはいえない。

(四)の主張は争う。高橋医師についても谷川、大久保両医師についてと同様のことが言えるのであって、高橋医師について注意義務懈怠の事実はない。

(五)の主張は争う。上田医師は、原告を診察した昭和六〇年四月五日の時点では、原告がその前日被告病院の脳神経外科で受診したことを告げられておらず、まして、レントゲン検査の結果については知る由もなかった。上田医師の診察の時点では、原告は頭痛等を訴えてはいたが、未だ眼症状は出現しておらず、緊急を要する状態ではなかった。このような場合、医療の現場では、相当期間の経過観察のなかで順次必要な検査が行われ、症状の原因が解明されていくのであって、上田医師が初診の段階で直ちにレントゲン検査等の手配をしなかったとしても注意義務の懈怠があったとはいえない。多数の患者を限られた時間内で診察しなければならない被告病院の耳鼻咽喉科の外来診療の実状からすれば、上田医師としては、経過観察を念頭において、原告に対し再度の来院を指示しているのであるから、初診時の診察としては十分な措置を講じている。

(六)の主張は争う。被告病院は総合病院ではあるが、各診療科はそれぞれ独立してその専門の治療領域について診療活動をしているのであって、ある診療科からの紹介がない限りそこでの診察の内容、結果は他の診療科には伝わらない。本件において、原告が昭和六〇年四月五日に耳鼻咽喉科で受診したのは脳神経外科の紹介によるのではないから、耳鼻咽喉科の医師が脳神経外科での診察の内容、結果を知らなかったとしても止むをえないことである。しかし、一方、被告病院においては、患者の症状によっては他の診療科への患者の紹介、診察の内容、結果の連絡等も行われ、総合病院としての機能を発揮しているのであり、本件において、昭和六〇年六月一〇日の時点での原告の症状に鑑み、脳神経外科、眼科及び耳鼻咽喉科の医師が連携を取り合い、翌一一日には原告が帝京病院で手術を受けられるよう手配したのもその一例である。同一の診療科内においても医師相互間の連絡、協議が重要であることは事実であるが、それも患者の症状に応じてその度合いは異なるのであり、通常の場合は、カルテの記載によれば足りることである。以上の点についての原告の主張は、医療の実状を無視した理想論というほかはない。

4  同4の事実のうち、昭和六〇年六月一一日に原告の左眼失明が確定したことを除いて、その余の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一被告は医療法に基づいて設立された医療法人(社団)であり、埼玉県戸田市本町一丁目一九番三号において被告病院を経営していることは当事者間に争いがない。

二<書証番号略>、証人谷川達也、大久保正、高橋信、上田忠和、松原真智子の各証言(ただし、証人谷川達也、上田忠和、大久保正の各証言については、いずれも後記採用しない部分を除く。)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告は昭和二一年一〇月一八日生まれの男性であって、高等学校卒業後、鍼灸・マッサージ・指圧の業務に従事し、病院に非常勤職員として勤務したあと、独立して、東京・中野に「輔仁堂鍼灸院」を開設し、今日に至っている。

2  原告は、高等学校第一学年に在学中の一六歳のころ、副鼻腔炎を患い、病院に入院して手術を受けたことがあるが、ほかにはこれというほどの病歴はなく、比較的健康には恵まれた生活を営んできた。ところが、原告は、昭和六〇年三月末ころから身体に変調のきざしを感じていたところ、同年四月二日の夜、突然、顔面、頭部を激しい痛みに襲われた。激痛は間断なく続き、翌三日朝になっても治まらなかったので、その日から同月四日の朝にかけて、三回にわたって自宅近くの開業医の診察を受け、注射や投薬をしてもらったが、効果はなく、その開業医の紹介で、右四日の午前、妻に付き添われて、被告病院の脳神経外科を訪れ、診療の申込みをした。

3  脳神経外科で原告の診察に当ったのは谷川達也医師である。谷川医師の問診においては、原告は、前頭部から眼窩上部、両側側頭部が痛むこと、頭部に重苦しさが感じられること、吐気があることなどを訴え、既往歴としては、一六歳のころに蓄膿症(副鼻腔炎)の手術を受けたことがあること、五年前に腎盂炎を患ったことがあることを告げた。そこで、谷川医師は、この問診の結果を踏まえて、原告について脳神経系統の疾患がないかどうかという観点から、眼底検査、手足の麻痺の有無の検査、どこかに炎症を思わせるものがあるかどうかの検査を診察によって行い、頭部のレントゲン写真撮影を実施した。これらの検査の結果、脳神経系統の疾患は認められなかったが、レントゲン写真の映像中には、前頭葉、その下に位置する篩骨洞、その奥の蝶形洞にかけての副鼻腔に混濁があることが認められた。このことから、谷川医師は、副鼻腔炎が生じているのではないかと疑い、原告の頭痛等はこの炎症によって引き起こされているのであろうと判断した。しかし、谷川医師は、原告を前にして、レントゲン写真を見ながら軽い副鼻腔炎であるようなことをつぶやくように言っただけで、あとの検査や治療のことについては具体的な指示、説明は何もしなかった。ただ、CTスキャンによる頭部の精密検査はその日には行えなかったので、同月八日に実施することを予約し、ほかには「ニフラン」と称する消炎鎮痛剤が支給され、原告はこれを受けて帰宅した。

4  しかし、原告の頭痛等はその後も変りなく続き、支給された薬剤を服用しても何の効目もなかったので、原告は、不安に思い、頭痛等の原因をいろいろな角度から調べてもらおうと考え、翌五日、被告病院の耳鼻咽喉科を訪れ、診察の申込みをした。この日は外来の患者が多く、担当の上田忠和医師は、たいへん忙がしそうであり、原告に対する問診もそこそこに、原告の症状をアレルギー性鼻炎、急性副鼻腔炎によるものと診断し、「たいしたことはない。そのうちに楽になる。」と言って、ネプライザーによる鼻処理をし、アレルギー性鼻炎を抑えるための薬剤を支給しただけで、その後の治療については、何の指示、説明もしなかった。そのあと、原告は眼科へ赴き、受診した。同科では細隙灯顕微検査、生体染色細隙灯検査、精密眼圧測定、屈折検査等の諸検査が行われ、その結果に基づいて、担当の医師は、原告の症状を眼精疲労によるものと診断した。そして、薬剤が支給されたが、原告に対しては診断の内容について詳しい説明はなく、その後の治療についても具体的な指示はなかった。

5  同月六日になっても、頭痛等は依然として続いており、前日の耳鼻咽喉科と眼科での診察にも納得がいかなかったので、原告は、その日脳神経外科を訪れ、担当の大久保正医師の診察を受けた。その際、原告は、それまでの受診の経過、とくに支給された薬剤を服用しても効果がないことを説明し、同行した妻からは、早く原因を解明してほしい旨を懇請したが、大久保医師からは、明確な指示や説明はなく、薬剤の支給を受けるに止まった。同月八日、原告は、先に予約してあった頭部のCTスキャンによる精密検査を受け、同月一〇日、脳神経外科で高橋信医師の診察を受けた。高橋医師は、CTスキャンによる検査結果については頭部には疾患は認められないと言うのみで、ほかに具体的な指示や説明はなく、あとは薬剤が支給されたのみであった。原告は、この診察にも納得がいかず、頭痛等は依然として続いていたが、ほかに手だても見当らないので、耐えていたところ、同月一二日ころから痛みが少しずつやわらいでいく気配が見えはじめた。その後、原告は、同年五月四日と同月一一日の二回、被告病院の眼科で受診したが、いずれの時点でも担当の医師からは具体的な指示や説明はなく、一方、痛みの方は鈍くなり、さらに少しずつやわらいでいくように感じられた。そのため原告は、結局、頭痛等の症状はさほど重大な疾患によるものではなく、次第に軽快していくものと考え、その後は、一度だけ自宅近くの開業医のもとを訪れ、鼻の掃除をしてもらった以外、医師の診察を受けることなく過ごしていた。

6  ところが、同年六月九日の夕刻、原告の左眼の視力が薄くなり、見えにくくなった。これに驚いた原告は翌一〇日、被告病院に急行し、まず、脳神経外科で診察を受けた。そのあと、眼科、耳鼻咽喉科に回わされて診察を受け、その間にレントゲン写真の撮影やCTスキャンによる精密検査が行われ、右三科の担当医師の協議の結果、原告には目と脳を結ぶ神経に重大な疾患があり、直ちに手術を要するとの診断が下され、原告は、被告病院の紹介で、その日のうちに帝京病院に転医した。帝京病院での診察の結果、原告の疾患は蝶形洞のう胞であり、蝶形洞に膿がたまり、これが三叉神経や視神経を圧迫しており、これを放置しておくと、脳炎や髄膜炎を引き起こす危険があるとのことであった。そこで、原告は、直ちに同病院に入院し、翌一一日、蝶形洞にたまった膿を取り除く手術を受けた。しかし、原告の左眼の視力は回復せず、以後、原告は左眼失明の障害を負うこととなった。

以上の事実が認められる。証人谷川達也、上田忠和、大久保正の各証言中右認定に反する部分は、証人松原真智子の証言及び原告本人尋問の結果と対比すると、にわかに採用しがたく、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

<書証番号略>によれば、次の事実が認められる。すなわち、蝶形洞のう胞とは、副鼻腔の一部である蝶形洞に膿がたまり、これが三叉神経を圧迫して頭痛、眼痛を引き起こし、視神経を圧迫して眼痛、視力低下、視野異常等の眼症状を発生させるという疾患である。副鼻腔炎(蓄膿症)手術の既往歴を有する者について、術後一〇年以上を経過した時点で、その発症(術後性副鼻腔のう胞)が多くみられる。蝶形洞のう胞の診断は、通常、レントゲン検査によって行われるが、近年、CTスキャンによる検査も用いられており、有用とされている。治療方法は、要するに、手術によって蝶形洞にたまった膿を取り除くほかはないのであるが、手術の方法には鼻外法、鼻内法、経上顎洞法等がある。症状発現から手術までの期間の短いものは回復が早く、症状初発から二か月以内に手術が行われたものについては視力、視野ともすべて正常に復したが、四か月以上経過してから手術が行われたものについては完全には回復しなかったとの報告例がある。以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、原告と被告との間には、原告が被告病院の脳神経外科で初めて診察を受けた昭和六〇年四月四日の時点で、原告に生じている眼痛、頭痛の原因を解明し、その治療を目的とする診療契約が成立したということができ、したがって、被告は原告に対し右契約の趣旨に則り善良な管理者の注意をもって診療に当るべき契約上の義務を負担したというべきである。そこで、被告のした診療行為が右契約上の義務の履行として完全なものであったといえるかどうかを前認定の経過事実に基づいて検討する。

谷川医師は、昭和六〇年四月四日に原告を診察した時点で、原告の頭部レントゲン写真の映像中、前頭葉、その下に位置する篩骨洞、その奥の蝶形洞にかけての副鼻腔に混濁があることを認め、このことから原告に副鼻腔炎が生じている疑いを抱き、頭痛等がこれによって引き起こされているのであろうと判断した。この判断は、後に帝京病院において原告の疾患について蝶形洞のう胞であるとする確定診断がされたことからすると、誤ったものであったか、そうとはいえないにしても正確ではなかったわけであり、右診察の時点で原告に生じていた頭痛等の症状、副鼻腔炎の既往歴、並びに前認定の術後性副鼻腔のう胞の一般的な症状からすれば、右の時点でも原告の疾患について術後性副鼻腔のう胞の疑いがあることの診断を下すことは医学的に可能なことであったとみることができる。しかしながら、谷川医師は脳神経外科の専門医であり、副鼻腔のう胞は耳鼻科系統の疾患であって、脳神経外科系統の治療領域に属する疾患ではないことからすると、右の時点で正確な診断をしなかったことについて谷川医師に過失があるということはできない。とはいえ、谷川医師は、右の時点で、原告について耳鼻科系統の治療領域に属する疾患があることの疑いを抱いたのであり、そうだとすれば、谷川医師としては、さらにこの点について確定診断を導くための検査等を実施すべき責務までは負わないにしても、原告が速やかに耳鼻科系統の専門医の診断、治療を受けることができるよう適切な措置をとるべきことは医師としての職業倫理に由来する当然の責務であるといっても過言ではない。そして、この場合にとるべき措置としては、本件においては、被告病院は総合病院として耳鼻咽喉科を設けているのであるから、谷川医師としては、原告を同科に紹介し、レントゲン写真をはじめとする脳神経外科における診察の資料を提供して適切な診療を依頼することであり、証人谷川達也の証言によっても、谷川医師がそうすることを困難にする事情があったとは認められない。ところが、実際には谷川医師は右のような措置を全くとらなかったことは前認定のとおりであり(この点について、証人谷川達也は、原告が被告病院の耳鼻咽喉科で受診することを望まなかった旨の供述をするが、右供述はそれ自体不自然であり、前認定のとおり、原告が翌五日自らの意思で被告病院の耳鼻咽喉科に診察の申込みをしている事実に照らしたやすく信用できない。)、その後に原告の診察を担当した脳神経外科の大久保医師、高橋医師、耳鼻咽喉科の上田医師及び眼科の医師らも原告の頭部レントゲン写真の映像や原告について生じている症状に強い関心を示すことがなかったため、原告は、昭和六〇年六月九日に重大な症状が発現するまで同年四月四日の時点で既に発症していた蝶形洞のう胞について適切な治療を受ける機会を逸してしまったことは前認定のとおりである。そうすると、被告が谷川医師をはじめ被告病院の医師らによってした原告に対する診療行為は以上説示の点において不完全であったというほかはなく、術後性副鼻腔(蝶形洞)のう胞に関する前認定の事実によれば、谷川医師が昭和六〇年四月四日の時点で前述のような措置をとっていたとすれば、早期の手術によって原告は左眼失明を免れることも可能であったということができる。したがって、被告は原告に対し、診療契約上の債務の不完全履行により、原告が左眼失明のために被った損害を賠償すべきである。

三そこで、右損害について検討する。

1  治療費について

原告は、帝京病院に入院中の差額ベット料金相当額を請求するが、先に認定の事実によれば、蝶形洞のう胞の治療方法は手術によって蝶形洞にたまった膿を取り除くほかはないのであり、そのためには入院は避けられない。そうすると、右差額ベット料金の支出は直接に被告の前記債務不履行によって生じたものとはいえず、この点についての原告の請求は理由がない。

2  後遺障害(左眼失明)による逸失利益について

原告が手術後左眼失明の後遺障害を負うに至ったことは前認定のとおりであり、これにより原告がその労働能力の一部を喪失したことは明らかである。しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、前認定のとおり、原告が東京・中野において「輔仁堂鍼灸院」の名称で営む鍼灸・マッサージ・指圧業における収入は、原告が左眼失明の後遺障害を負う前と後とでほとんど差異はないこと、しかし、原告は、右後遺障害を負った後においては、その一日の労働時間をそれ以前よりも長くし、休日も少なくして稼働していること、また、左眼の視力を失ったため鍼灸の業務では焦点が定めにくいなどの不自由があり支障を生じているが、忍耐によってこれを乗り越えていることが認められる。これによれば、原告については、右後遺障害による逸失利益は現実には生じておらず、この状態は将来にわたって変りはないものと推認される。しかし、一方、原告は、右収入を維持するために、後遺障害を負う以前に比して、多くの精神的、肉体的労苦に耐えているわけであるから、このことは後記慰謝料額を算定するうえで重要な資料として斟酌するのが相当である。したがって、原告の請求中、逸失利益に関する部分は理由がない。

3  慰謝料について

前認定の被告病院における原告に対する診療経過、原告が負った後遺障害の部位・程度及びこれが原告の生活に及ぼしている影響など、諸般の事情に照らすと、原告が被告の前記債務不履行により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一六〇〇万円とするのが相当である。

4  弁護士費用

本件事案の性質・内容、審理の経過、請求の認容額など、諸般の事情に照らすと、被告の前記債務不履行と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は原告が左眼を失明した昭和六〇年六月一一日当時の現在価額で二〇〇万円とするのが相当である。

なお、弁護士強制主義をとらないわが国の民事訴訟制度のもとにおいては、契約上の債務不履行による損害賠償請求においては、その損害中には請求権実現のために要する弁護士費用は含めないのが通常であるが、本件のように債務不履行の態様が不法行為によるのと何ら異ならない場合には、被害者(債権者)の救済という政策的見地からこれを含めて解するのが相当である。

したがって、被告は原告に対し、右3、4の損害計一八〇〇万円とこれに対する被告の前記債務不履行の後である昭和六〇年一一月一二日(左眼失明確定の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである(なお、右損害賠償債務の履行期についても不法行為による場合に準じて債務不履行のときから遅滞となると解するのが相当である。)。

四よって、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく右説示の限度で理由があるからその範囲でこれを認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官小林敬子 裁判官佐久間健吉)

別紙<省略>

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